《親から子へ》

形のある財産は、いつかは必ずなくなりますよ。どんな資産家の御家庭でも、三代相続を繰り返したら、相続税でなくなりますよ。今の税法はそうなっている。形ある財産は、いつかは必ずなくなりますが、心に残された宝、財宝というものは、その子の一生消えません。
子々孫々にまで伝わっていきます。その心の宝をどうやってわが子の心に残してやれるかという心の教育、これがまるっきりお留守になってしまっておる。
今の日本は二言目には進学、テスト、テスト、そうじゃありませんかね。百俵、千俵、万俵のお米を子供に残してあげる。
それは親心でも何でもない。そんな物は必ずなくなるんです。
そうではなくて、一握りのもみを与えて、稲の作り方を教えてやるのが本当の親心でしょう。
人間としての生き方を教えてやる。
子供達よ。せがれよ。娘よ。よく見とけ、人間とはこういう風に生きるんだぞ、日本人とはこういう風に生きるんだぞと、身をもって手本を示してやる事。それが最高の人間教育、私はそう確信します。
その手本を示さなければならない日本の大人達親達、現在の生き様はどうですか、人間としてこれでいいのでしょうか。
お互い、二言目には経済、経済、損得でばかりものを考える。もらわなきゃ損もらわなきゃ損、二言目には福祉、福祉の大合唱、そうでしょう。
国がどんな赤字財政になろうが、そんなことは知っちゃいねえ。
子孫にどんな借金を残そうが、そんなことは知っちゃいねえ。間接税反対、増税反対、減税減税もらわなきゃ損、二言目には福祉、そうでしょう。
そういう損得でばかり物を考える。物事を善悪で考えようとしないお互いの生き様。
日本が、敗戦国になりました時に、日本から一番被害を受けた中国の代表として乗り込んできた嶈介石総統(当時の中華民国の)、
あの方は“仇に報いるに、恩を持ってせよ”仇に報いるに恩を持ってする。
これが東洋の心である。決して日本人に仕返しをしてはならない。国民に激命して、丁重に日本人数百万を中国大陸から送り返して下さった。
敗戦国の日本に、ひどい被害を受けておりながら、ぴた一文、損害賠償の請求をしませんでした。大恩人でございます。
ソビエトとは、全然逆でございますね。
ソビエトは何も損害、被害を受けていないのに、一週間前になって日本がお手上げ寸前になって、いきなり条約を無視して日ソ不可侵条約もへったくれもあったもんじゃない、侵入してきて、逃げまどう一六五万の日本人を略奪虐殺し、六十五万人の日本人をつかまえてシベリア大陸へ連れてって強制労働させた。
 中国残留孤児の悲劇は、ソ連軍に追われた時の名残りであります。
 その蔣介石総統は、御自身の誕生日にはどうなさったか。
 その日には、亡き母親の霊前にぬかづいて自分を生み育てて下さった母親の苦労に感謝の祈りを捧げ、一日食事を取らなかった。一日食事を絶って母親の労苦に感謝の祈りを捧げたと申します。
これが東洋の心でございます。戦後の日本は、すべて欧米化されまして、誕生日には、バースデーケーキだバースデープレゼントだと、物やお金を子供に与える事が常識になってしまった。
こういう歌がございます。
“もろびとよ。思い知れかし己が身の誕生の日は、母苦難の日”
私共、誕生日というのは、母親が大変難儀をなさって死ぬような思いをして私共を生んで下さった。
そして、西も東もわからない赤ちゃんの時から手塩をかけて育てられ、周囲のすべての方々のおかげを被って今日の私共がある。自分の力で大きくなったのではない。
その母親の労苦に、感謝の気持ちを捧げるのが誕生日でなければいけない。
なのに、戦後のいまの日本人はお互いにどうです。
家付き、カー付き、ババァ抜きとか言って、年老いていく両親の世話をするのは国の責任だ。国にその責任を押しつけて、二言目には、福祉福祉じゃございませんか。
生み育ててもらった子供達が、お世話をしてさしあげるのが当然の義務ではございませんか。人間としての。
その人間の心を忘れてしまっている。二言目には、福祉福祉、国に押しつけて、自分達が年老いていく両親を粗末に扱いながら、どうして親思いの子供が育つでしょう。
人間として、果たしてこれでいいのでしょうか。物の考え方が経済偏重に毒されてしまって、余りにも豊かになりすぎ、余りにも便利になりすぎて、人間本来の原点の姿をお互いが見失おうとしている。
私にはそう思えてなりません。
教育というのは教える事と育てる事を申します。
教える事と育てること、これが教育。今の論議を見ていると、教える事についての論議ばかりでございます。
人間の心をどう育てるかという育てるという事。そこの所が完全に抜け落ちている。人間教育の基本はあくまで家庭でございます。
お互いの家庭があり方をもう一度ふりかえっていただいて、これでいいのだろうか。人間としてこれでいいのだろうかという事を、考え直してみていただきたいと思います。
我々が、生き様を反省することなしに、子供の問題は絶対に解決しない。
子は親の鏡。問題の子供があるのではない、問題の親があるのだということ。今日の話の中から一つでも参考にしていただければ幸いでございます。