《スナバチとカマス》

先般、あるクイズ番組でスナバチの物語がありました。
 スナバチは砂地に穴をほり、餌を運びます。決して穴の中を点検せずには餌を持って入りません。
 その時の餌と言うのは仮死状態のクモで、その仮死状態のクモに卵を生みつけるのです。砂をかぶせて立ち去るのです。卵からかえった幼虫がそのクモを餌にして成長する。そして一人前になって穴から出る仕組みになっている。こういった物語を見ました。
 スナバチの親が餌を運びます。一旦、餌を砂の穴の所へ運ぶが中に入らない。そして穴を点検した後に餌を運び込む。外敵がいないことを確認して初めて中へ餌を入れる。いきなり中へ入らない。
 ファーブル昆虫記の中にもこの話が載っていますが、スナバチが中に入っているスキに人間が餌をこっちの方にもってきてしまうのです。
 そうするとスナバチは入れようとした餌がなくなっているのに気付き、うろたえます。スナバチはクモをとりに来ます。又穴の中に点検に入る。すると人間が餌を他の場所に移す。同じことの繰返しをするのです。
 たった今、見たのだから、いい加減に中に餌をもって入ればよいものをそれができない。
 客観的に見ていると人間に邪魔されて、このことが出来ない。これを習性というものです。
 昆虫記で、これを読んだ時、私のことを言われているような気がしました。
 私たちも、こんな風に客観的に見たらなんでもないことを長年の習性で、変えることができない。そして苦しんでいる。そのことに気づいていただきたいのです。
 水族館の大きな水槽を御存知でしょう。これも有名な実験ですが、水槽の中にカマスを入れます。カマスの好きな小魚を入れます。目の前においしい小魚がいるので、大喜びでパクパクたべます。ところが、この間に一枚のガラス板を入れます。食べようとするとガラス板があってパクッとすると食べられない。何回やっても食べられない。
 一定時間をすぎてから、このガラス板をどけます。カマスはどうするでしょう。
 カマスは、どんなに餌が近づいても食べようとしなくなります。食べられないものと決めてしまっている。
 カマスのそばに、餌の小魚が泳いでいても食べられなくなる。哀れなカマスは飢えていくのです。これを条件反射の実験といいます。
 私たちもカマスと同じことをやってます。なんでもないことができないのです。できないものと決めてしまってアキラメています。
 こういう事も気づく必要があります。
 その点をよく理解していただきたい。
 十年前、亡くなったアーノルド・トィンビーの著作の中に、 
 “現代人は何でも知っている。ただ、自分のことを知らないだけだ。”という言葉があります。
 何もこれはトィンビーが初めて言ったわけではなく、二千五百年前の大哲学者のソクラテスも同じことを云っているのです。