第1章 『おふくろ』

日本の古い大和ことばに、「たらちね」(垂乳根)という親にかかる枕詞があります。
戦後は一家庭の子供の数は少なくなり1.5人ですが、戦前は平均5.7人でした。
日本の昔の母親は何人もの子供を生み、ミルクなどございませんから、すべて母乳で育てました。従って自然と乳もたれてまいります。これを「たらちね」といいます。「母」と書いて「たらちね」と申します。乳がたれているのは母の印、たれていないのは母ではなくただの女です。
戦後の日本は、すべてアメリカに見習いました。当然育児法もそうでした。厚生省も産婦人科医もそう指導しました。生まれてすぐ母親からきりはなしてベビーベッドに寝かせ、時間をきめてミルクを与える育児法。母親に対する依存関係を絶って、人格の独立をめざしました。現代的なひらけた育児法であるというまちがった育児法がはいってきて、それが常識になってしまいました。お乳を与える母親がきわめて少ない。つまり「たらちね」でなく、ただの女になってしまっている。
母親のことを「お袋さん」と言います。袋とは物を包みこむから袋というのです。暖かいふところに包みこむからお袋さんなのです。ベビーベッドに、きりはなして、時間を決めてミルクをやる育児法は、お袋さんのすることではありません。
しかし皆さんよいとおもってやっていらっしゃる。母ではなく女になってしまっていることを全然気づいていらっしゃらない。
私の恩師で、九州大学の名誉教授 池見博士(国際心身医学会の会長)が、「生まれてすぐ母親からきりはなしてベビーベッドに寝かせて、時間をきめてミルクを与える育児法は、人格の独立どころか人格を孤立に追いやっている。いやしくも人間がわが子を育てる姿ではない。あれはペットの育て方だ」と口をきわめて非難されました。なぜペットなどとひどい事を言われたか、皆さんはどう思われますか?
赤ちゃんを保健所へ健康診断に連れていきます。かりに生後4ヶ月の赤ちゃんですと体重が7キロkg前後あります。生後4ヶ月たって連れていってみますと、うちの子は6.5kgしかありません。標準より500g軽いではありませんか。となりの赤ちゃんを見ますと7.5kgありました。お宅は良いですね。標準より500gも重くて。うちと1kgも違うじゃありませんか。
お肉屋さんのお話ではありませんですよ。何g重いとか軽いとか一喜一憂していらっしゃる。
わが子の情緒がどう安定しているか、わが子の心がどう育っているか、人間の心を育てるという発想はぬけてしまっている。ただ肥らせればよいと思っていらっしゃる。ペットの育て方だというのです。
女性のお乳は何のためにあるのか、それはわが子を育てるためにあるのです。それ以外の何の為でもないのです。天から与えられている人間の赤ちゃんに対する最大の恵みは母親のお乳であります。それをわが子に与えない。こんな残酷な仕打ちはない。しかもその事を全然気づいていらっしゃらない。よいと思って与えない。だから悲劇です。
ここから既に間違っている。今の子供達は哀れです。人生のスタートから母親に拒否されて育っているのです。
赤ちゃんの情緒は、どういうときに安定するかと言いますとね。妊娠中は母胎で保護されています。母子一体でございます。お母さんのお腹の中、こんな安全な場所はないのです。ところが、オギャーと生まれて母子が分離します。母子一体でなくなります。人間の赤ちゃんは、ほっておけば必ず死にます。自らは何もできない無力な存在ですから。お腹がすいても泣く、気持ちが悪くても泣く、さびしくても泣く、眠くても泣く、常に泣いて保護を求めているのが人間の赤ちゃんでございます。それをじゃけんにつきはなす、人格の独立という。とんでもない。赤ちゃんの情緒はどんな時に安定するのか、暖かいお袋さんのふところに抱かれ、美味しいお乳をたっぷりに口に含ませてもらい、匂いをかぎ母親の肌の温もりを肌に感じ、やさしい声を聞きながら下からジイーと見上げて目と目が合った時、初めて母子一体で赤ちゃんの情緒は100%安定致します。その情緒が安定する母と子の場を与えてやらない。こんな罪深い話はない。私が、こういう事を言いますと、それは少し言い過ぎではないか、誇張して言っているのではないかと言われる人がいらっしゃるはずです。誇張でも言い過ぎでも何でもないという、私が実際に体験した1つの例を申しあげます。


以上