《欠陥人間はいない》

教育とは、自身を持たせることを申します。劣等感を植えつけることではない。では自信を持たせるにはどうしたらいよいかと言いますと、実現可能な目標を与えることです。
 勉強しなさい、頑張りなさいばかり言っても意味がない。どこまでやっていいかキリがない。そうじゃなくて、ここまでやってごらん、きっと出来るからと励ます実現可能な目標ですよ。
 一月の成績はビリだった。二月はしっかりがんばれよ、クラス一番になりなさい。こんな無理ですよ。こんなの目標にならない。算数は六十点とっていた。
今度はしっかり頑張って七十点とってごらん、お前だったらきっとできるよ。六十点とったのだから頑張ったら七十点とれる。これなら可能でしょ、実現可能な目標というんです。
そうして目標達成の喜びを体得させる。やったあ!七十点とった、という喜びを体得させる。やればできるという事を体得させる。そしてそれを心からほめてやる。よくやった。ほら、やればできるじゃないとほめてやる。
必ず自信を持ちます。人間は大人も子供も一緒です。ほめられることによって自信を回復してやる気が出てくる。それをほめないでしょ。文句ばかり言っている。
お母さん一日一回でいいから子供をほめてやって下さい。
子供を変えたければ、お母さんが変わればよい。
昔から子供は親の鏡というでしょう。自分が変わらないで鏡に変われと言っても無理です。
人間は、ほめられる事によって自信がつき、ヤル気を起こす、そのことを是非わかっていただきたい。人間は、そのようになっているのです。駄目、駄目と言って本当に駄目な人間にしないで下さい。
福岡で、あるお母さんが、
「子供をほめろと言われますが、普通のお子さんの事でしょう。うちの子は、ほめようがないんです。」「どうなさいました。」「だって先生。十点や二十点ばかりでせいぜいよくても三十点しかとれないんです。ほめようがないんです」
だから駄目なのです。私に言わせれば、日本中の親達、先生方、皆さん間違っています。
一〇〇点満点を基準に考えてらっしゃる。なぜ0点を基準に考えてやらないのですか。
別のお母さんの子供が算数に三十点とってきました。しぶしぶお母さんに答案用紙を見せました。
このお母さん、「ちょっとあなた三十点もとっているじゃないの、たいしたもんだね。遊んでばかりいたのに三十点もとっているじゃない、勉強すれば何点とれるかしら。」
(ようし、お母さんがそこまで信頼してくれるなら、頑張って四十点取ってやるぞ、)がんばって四十点とってきた。
「あなたすごいわね、ちょっと勉強しただけで四十点とってくるなんて……。」
(ようし、今度は五十点とってやる。とれるまでとってやる。)
「いっちょやったろか」とやる気をおこすのが教育というものです。ヤル気を起こさすのが教育であるのに、ヤル気をなくするようにしむけているじゃありませんか。
だから駄目です。親が駄目なんです。先生が駄目なんですよ。そこをよく考えてみていただきたい。そしたらね、そのお母さん
「よくわかりました。さっそく実行してみましょう。しかし先生もう一つお聞きしてもよろしいですか。それでも0点をとってきたらどうしましょう。」どんなにおだててみても、勉強嫌いのお子様がまれにいらっしゃるものです。そういうお子様の場合でもどこかにほめる所があるものです。
通知票をもらってきたら、身長、体重、胸囲は一学期ごとにふえているものです。
「ありがとう、ありがとう、あなたがすくすく育ってくれる。わが子が健康でけがをせず、成長していってくれることが本当にうれしい。」親にとって一番うれしいことです。純粋で素朴な親の喜びを忘れて、どっちが早いか遅いか一喜一憂している。
もしもし亀よの、うさぎさんの心境になっている。私、日本人の親は亀さんの心境になってほしい。亀さんは、うさぎさんなんか眼中にしていません。人が早かろうが遅かろうが関係ない。他人(ひと)は他人(ひと)。マイペースでいってほしい。
わが子が、たとえ歩みが遅かろうと、人間として正しい方向に向かっているかどうかを問題にしなくてはいけないのに、どっちが早いか遅いか一喜一憂しているじゃありませんか。
今の日本人の親たちは、人間をして何が一番大切かを、見失っているんじゃないかと私は思います。