《意識と無意識》

 “汝自信を知れ”
 “汝、はたして、何を知れるや”
 今日は、徹底して現代人はいかに「自分のことを知らないか。」について、お話したい。
 ソクラテスよりも、もっと昔にインドにウパニシヤドという聖典があります。
 インドの数千年前のその本には、天地創造の主が、人間を作りその肉体に無数の穴をあけた。毛穴とか汗の穴とか、穴は外へ向かってあいています。
 人間は外側のことは、解っても自分の内側のことは解っていない。かんじんな自分のことを解っていないということも、分かっていない。
 そのことを分かってほしい。大昔から人間は外側のみ理解し、内側は分かりません。
 “私の心”の分かっている部分を意識といいます。
 分かっていない隠れている部分を無意識、潜在意識といいます。
 意識と無意識の境界のところに、半意識というものがある。電話番号を思い出せずに「エエッート」と考える所です。努力したら思いだす部分を半意識といいます。
 心のほどんどは、意識できない世界。では、意識できる世界は心全体のどれ位かといいますと、わずかに一割程度、これは心理学の常識です。ある学者にいわせると1/20という人もいます。せいぜい解っても一割程度だというのです。
 外界のことに関して、人智はひらけています。常々感心していますのは気象衛星ヒマワリです。茶の間にいて、地球の外側から地球を見ているわけです。
 人間のやることは本当に凄い。
 ところが、心のことになると分かっていることが、たったの一割程度です。南氷洋や北氷洋に浮かぶ、氷山。あれと同じです。あれは、頭の上がチョットでているだけであとは海の中。海中の方が八〇%から九〇%です。一割程度しか分からない。へーぇそんなものかなと思われるでしょう。
 夢というのは、何かというと、無意識の世界から意識の世界へ出てきたイメージのことを夢といいます。
 大学の精神科の先生は毎日、見た夢の記録を取らせます。毎日記録させるわけです。
 無意識のなかにどんな情念があるか探るのです。これを夢の分析といいます。精神科医の大きな仕事のひとつです。何故そんな夢を見たのかを、それを手がかりにしてその人の無意識層を探るのです。
 私たちは、夜中にふっと目を覚ますことがあります。二時三時です。
 明朝早起きしなくちゃと思うとします。
 意識では、眠ろうとするのに目が冴えて眠れない。誰にも経験のあることです。眠れないのはなぜかというと、私たちの中の無意識が興奮しているからです。
 多勢の人の前で、改めて、あいさつをしなくちゃならない。
 例えば、華やかな結婚披露宴で、このあいさつをしなくちゃならない。自分の順番が廻ってくるとドキドキする。落着けと言いきかせるがあがってしまう。思うように言葉が出てこない。
 これをアガルといいます。
 大事な試合、試験、アイサツなどの時は、あがってしまう。意識上は、落着かせるのに、ドキドキする。無意識層が興奮しているからです。
 意識と、無意識は、対立すると、意識はかないません。もともと一割程度のエネルギーしかないのでかないません。
 意識のエネルギーが二倍になりますと、無意識のエネルギーは二の二乗、四倍にふくれる。三倍に意識しますと三の二乗、九倍にふくれてしまう。意識は、無意識にかなわず、意識すればするほどかえって無意識に負けてしまうのです。
 思わなければよいのですが、かえって、思ってしまう。