《フロイドの暗示−新年の成り立ち》

「無意識」に学問の光を与えて、理論的に解明してくれたのが、ジグムント・フロイドです。フロイドは十九世紀後半から二十世紀の初めにかけて活躍しました。フロイドが生まれた時に、お産婆さんが元気のイイ赤ちゃんを見て、「この子は、将来立派な人になりますよ。」といいました。
 お産婆さんのお世辞です。
 将来立派になるかどうか裸の赤ちゃんですから解りません。
 ところがフロイドの母は、ずーっとフロイドに言いつづけた。“あなたは、きっと立派な人になるのよネ。”何かにつけて言い続けたのです。
 フロイドが大きくなり、いろんな人生のピンチに会うたびに、フロイドを支えたのは、母の言葉だった。「あなたはかならず立派な人になるのです。」
 その言葉はフロイドの中で、信念となっている。信念というのは理屈ではなく本人が思い込むことです。
 信念はどうやって形成されるのか。
 くり返し、くり返し与えられる情報、それが人間の信念を形成します。
 全部、中にストックされます。情報の集積である無意識層に支配されて、人は行動しています。自分では気づかずに。
 信念にはプラスの信念もあるし、マイナスの信念もあるのです。
 フロイドのようにかならず成功する、オレは成功するのだ、という、自己背定のポジティブなプラスの信念と、何をしてもダメという自己否定のネガティブなマイナスの信念とがある。ここが教育の根本原理です。くり返しの情報は人間の信念を形成し、人は無意識によって行動する。教育というのは、いかにしてプラス情報を与えるかということです。くり返し、プラス情報を与えなくてはならぬのに、今の教育は、マイナス情報ばかりです。
 ダメ、ダメですよ。否定的情報ばかりです。“六十点ダメね”また“七十点、たまには百点位とってよ。”
 “兄ちゃんをごらんなさい。”、“○○君をみてごらん”と、ダメダメの否定的情報ばかりです。“オレは大したことのないダメ人間だ”と否定的なことになってしまう。
 ダメダメ言われて育った子はかならずダメになる。
 ダメにしようとしたら、なんていうことはない。何でもダメダメ言えばいいのです。
 教育は自信を持たせることだ。劣等感を植えつけることではない。ウの目タカの目で欠点をあばきたて、探すのではなく、いいところをほめてあげる。いい所を賞めてあげなくちゃ。ぐずぐずして学校へ行きたがらない子がいる。
 「学校なんか嫌いなんでしょう」否定的なことを言うから、ダメになってしまう。ルンルン気分で学校へ行く子は何も努力していない。好きだから行くだけ。行きたくないのに努力している子は、必死の思いで行っているので、賞めてあげなくては、ならない。
 グズグズしながら、行きたくないと思いながら行く。四十九%は行きたくならないが、五一%はやっぱり行こうと努力しているのです。努力家です。そういう子ほど賞めなくてはなりません。

《実現可能な目標を与えよう》

不登校にもいろいろある。悪さグループで、悪さをするためにサボル。
 これは登校拒否とはいえない、行きたくてもいけない子がいる。必死の思いで自分と戦って、やっとの思いで学校へ行く。こういう子を誉めて励ましてやる。“アンタ、行きたくない学校によく行ってるネ。”とほめてやる。“エライ”“偉いネー。”
 プラス情報を与える。
 ここまでならあんたも出来ると実現可能な目標を与える。
 一学期にビリだった、二学期は、しっかり頑張って一番になりなさい。ビリから急にクラスで一番になれといってもムリです。本人はガックリします。算数六十点とってごらん、という。ガンバレガンバレではなく、きっとできる。目標達成の喜びを実現させてやる。
 プラス情報、やれば出来る。と心からほめてやる。よくやったネ。やれば出来る。ほめてやる。ほめられることによって自信を回復する。けなすことによっては生まれない。
 この調子、八十点だよと励ます。これを教育という。
 教育とは自信を持たすこと、百点満点を基準に考えず0点を基準に考えるの。
 二十点よくとった!この前、0点だったのにこの二十点たいしたもんだ。
 ダメではなく、二十点とったら三十点だよ。
 “三十点とったよ。”
 “たいした人ネ。”“ヤレバできるじゃない。”
 0点を基準に考えて下さい。 
 徐々に目標をあげていけばよいのです。
 ほめられればうれしい。かならず信頼に応えるのが人間。子供も大人も同じです。けなされたらやる気をなくすのは当り前。我が子を見る目を変えて下さい。
 すごい可能性を秘めているのですから信じて下さい。
 皆んな子供のことに関しては、勘違いしています。

《マサチューセッツ工科大学》

マサチューセッツ工科大学をご存じですか。アメリカのマサチューセッツ州にあります。工学系の大学として世界有数の大学です。なぜかというと、ここからノーベル賞受賞者が続々でている。すごい大学だからです。マサチューセッツ工科大一年生の平均年齢は一六・三歳。高校一年生の年齢です。
 これは平均ですから中には、大学に中学一年や二年の年齢で行く子もいるのです。
 数学だけはズバ抜けている。他はダメ。理科だけは、ズバ抜けている。他はダメ。こんな天才少年、少女が行くのです。
 日本では、そんな子は国公立大学にはいけません。共通一次は通りません。
 好きこそ物の上手なれ。苦手な学科をマスターするために、その苦手な学科をやらせる時間があるなら、なぜ好きな学科をさせないのか。
 今の日本は個性を殺す教育をしているのです。苦手な学科を克服するために進学塾に通う。そんな暇があるなら好きなことをさせたら、その子の個性がどんどんのびていく。
 日本の公教育は個性をのばさず殺すだけかもしれません。東大のような学校があってもよいでしょう。しかしながら、数学バカ、英語バカ、理科バカが行ける学校もなくちゃダメ。これだけは、ズバ抜けているという、創造性の発揮できる学校もなければならないのです。
 日本には、創造性を育むシステムがないので、貿易黒字といいながら、技術に関しては完全に輸入超過。赤字です。技術料を支払って成り立っているのが日本の実績です。
 外国人が発明したものを作らせてもらっている。TVもトランジスタも車も、全て外人の発明です。日本人の発明ではない。
 専門バカを育てる教育―これを目標としたい。大人たちが考えてやらなければ創造性の開発などは無理です。
 好きなことをやらせれば、どんどん才能はのびて行きます。

《感覚支配の治療》

 感覚支配という。感覚がいわれた通りになる。例えば、血がダラダラ流れていても痛くないといわれたらイタくない。気持がよいといわれたらイイ。
 長崎のある歯医者さんでたまに催眠を使う人がいます。信頼関係のある患者さんのみに使います。その歯医者さんは、患者さんを寝台の上に寝かせます。催眠させて力一杯ツネります。アッ、イタタッというのに、気持がよいでしょう?“ええ”というわけです。
 いわれた通りになります。感覚支配まで行っているのを確認します。
 意識はありますので、「口をアーンと開けて」「今から虫歯を抜きますがとても気持ちいいですねー、いいですねー」といって虫歯を抜いてしまうのです。
 チクッとしても気持ちがよいと言われれば気持がよい。痛くないのです。
 感覚支配は言われた通りになります。「お酒をつぎますよ。」「はいコップを持ちました。」「しょうちゅうを一杯にいれました。」「だんだん酔いがまわってきた。」「そーら酔ってきた。」いわれた通りになる。
 一滴も飲まないのにぐでんぐでんになる。こんな安上がりな方法はありません。飲まなくても酔うのです。これを感覚支配といいます。

《記憶支配》

 さらに深い状態の催眠があります。
 これを記憶支配といいます。
 これをやりますと、先ほどの忘れた筈の情報がボロボロでてきます。
 決して消えていないということです。
 記憶支配をすればすぐ分かります。例えばここに五十歳位の人がいます。
 五十歳の人の三十年前の二十歳の頃です。例えば両親に死に別れてみなし子になったとします。
 恋人と切なく別れた。何か人生の悲しい体験を生きて乗りこえてきた。すでに三十年たった。そのことが若い頃の懐かしい思い出となっている人につぎのようなメッセージを与える。
 「私が数を数えます、ひとつ数えるごとに、あなたの記憶は一年ずつ若返ります」
 “ハイ!ひとつ、ふたつ、三つと数えます。”これを年齢退行の実験といいます。
 記憶をさかのぼらせます。溯って三十歳、二十歳、ハイ今、二十歳。どういうことがありました?
 先ほどの体験の持ち主ですと、三十年前の悲しい感情をもうとっくに乗りこえてきているのにあざやかによみがえるのです。いっきに溢れ出して、しゃくりあげて泣き出すのです。
 決して消えてはいません。怒り、悲しみ、憎しみの感情等、人生五十年も生きていれば誰でも何かはあります。
 年齢退行の実験でその年まで記憶を逆のぼらせると消えた筈の感情があざやかによみがえってすごいエネルギーで吹き出してきます。
 年齢を五歳位まで退行させまして「ハイ今五歳、いつつ(・・・)ですよ。」クレヨンを持たせて絵を書かせると五歳の時のままの絵しか描きません。完全に記憶が五歳の頃に戻ってしまいます。
 “そばに誰かいますか”
 “おばあちゃんがいっしょ。”と、とっくに亡くなった祖母です。着物の色・柄までいいます。紺だとか灰色だとか。
 誰がしてもそうです。
 凄い記憶装置を持っているのに、気づかないのです。うわっつらの一割しか分かっていないのに自分は頭が悪いと思いこんでいる。
 “あいつは馬鹿だ!”
 “この子はダメだと”決めつけてしまう。
とんでもないまちがいです。
 人間はそんなに単純な存在ではないのです。
 はかり知れない可能性をを秘め、凄い記憶装置を持っています。催眠をすればいやという程思い知らされます。
 私も催眠を教わって初めて知りましたが、皆さんにも知ってほしい、気づいて欲しいのです。
 皆さんは優秀な頭脳の持ち主です。
 最後の実験をします。
記憶支配の段階で、「これから数をかぞえます」と言います。
 「十数えたら、あなたは気持よく催眠から覚めます。催眠から覚めた後、私がポケットからハンカチを出します。そのハンカチを見たら、あなたは窓を開けにいきます。しかし、ハンカチを見たら窓を開けにいくということをあなたは覚えていません。」
 「一、二、三、四」と数えて催眠から覚まします。意識はありますから全部覚えています。けれども記憶支配の段階であなたは覚えていないというメッセージを与えられると、覚えていない、その事だけは、思い出さない。
 なんでそうなるのか分からない。催眠の恐ろしいところは、実はこの部分なのです。
 記憶支配の催眠の段階で「このこと覚えていませんよ」といわれたことだけは思い出しません。
 何をされるか、解ったものではないのです。
 連続TVのドラマで刑事コロンボというのがあります。ロサンゼルス警察の殺人課のヨレヨレのレインコートの男です。
 あのシリーズの中で催眠に関するドラマがありました。他にも、これは本当にあった話ですが、ドイツのハイデルベルヒ事件というのがありました。
 催眠を使った殺人事件でした。迷宮入り前に、もしや催眠ではなかろうかと調べてみたら、急転直下、事件が一気に解決できたというわけです。
 このようなわけで犯罪に利用されるといけませんので、学会でも非常に慎重に扱います。
 催眠から覚めた後、感想を聞かせてもらいます。私は大抵、産婦人科のお医者様とペアを組んで稽古しました。
 “どうでしたか?”“気持よかった。”
 上手な人が催眠をするとリラックスして気持がよいのですが、下手な人の場合は、気持が悪い。“足元に赤い花が見えるでしょ。”と私がいいましたが、相手の医者は“あの時、なかなか、赤い花は浮かばずに困ったよ。”とか、
 “いいかたまずかったネ”と確認し合うわけです。
 自分の与えたメッセージがきちんと相手に伝わっているか正しかったか確認します。お互いにかけたり、かけられたりして練習します。
 催眠の腕前をみがきます。十分位して、なにくわぬ顔でポケットからハンカチを出す。
 そうすると相手は、ソワソワしだします。
 落着かず“チョット失礼”と立ち上がり、窓を開けます。
 “部屋の空気が汚れていて”と言って言い訳をしながら窓をあけます。立って窓を開けてやっと落ち着くのです。ハンカチを見ると落着かず窓を開けずにおれなくなる。
 本人の意識では部屋の空気が汚れているからというわけです。
 心理学的用語で合理化というのです。
 自分の行動を理由づけて正当化することです。
 オレはコウダカラコウスルノダ、事実はハンカチを見たからそうしたまでで、無意識に支配されていることに全然気づかない。
 一割の意識で分かっているつもりです。事実は無意識に支配されています。合理化して分かっているつもりになっています。そうではなく、無意識に支配されて行動しているのです。

《自己催眠》

 それでは自己催眠の話です。
 さて皆さん両手をしっかり握って下さい。
 ひとさし指だけをまっすぐ伸ばします。
 指先に注目します。だんだんくっついていくぞ、いくぞと自己暗示します。手をしっかり握って合ってやってみて下さい。くっついていくぞというとくっつきます。へそ曲がりはダメです。
 まず、導入部です。その人の被暗示性を見るのです。
 例えば少女を催眠に誘導します。軽く目を閉じて、両手はヒザの上に乗せてます。「右手が軽くなってヒザから離れて上へ上へと上っていきますよ」と「軽くなってきた、それ、もっと軽くなるぞ」「軽い。」「離れるぞ、それ離れた」「離れた」という。「もっと上る」というと、手が上がってしまう。「手のひらが額に近ずくぞ」「それ近ずく」「ソーレ!くっつくぞ」
 「手が額にぴったりくっついた。」
 「もう離れない。」「もう離れない。」「離してごらん」と言います。
 離そうとすればする程努力逆転の法則に従って、もう、離れません。不動金縛り、離れないよというメッセージが与えられ、離そうと、もがけばもがく程、離れなくなる。くっついてしまう。
 離れません、引き寄せられてしまう。すごい力が出てきます。
 真っすぐ立たせて、身体が固くなるというメッセージを与えるとピーンと硬直して、丸太棒のようになってしまうのです。
 硬直した身体を机と机の間に横たえると、後頭部とカカトで全部の体重を支えて反っくりかえっています。
 返っくりかえった身体に大の男が乗ってもビクともしないのです。
 もっとも松田聖子の上に小錦が乗ったら、重すぎてダメ。あの人は重すぎます。
 本人の体重の三倍までが限度です。
 自分の体重の二倍でしたら平気で支えています。
 無意識層では、常識ではとても考えられない力が出てくる。これを潜在能力という。人の中には潜在能力が存在しています。無意識層を動かすと、その中にある能力が見事に顕在化します。表面化します。失天性脳性マヒとか、精神分裂病の患者とかですと催眠のメッセージが、心にとどかず、無駄に終わります。
 病気のない人は誰でもかかります。そういうことは、人間本来、それだけの能力をもっているということです。
 中にそのことに全然気づかず、そんなこと出来るかと勝手に思い込んでいる。できないものと決めてしまっているカマスと同じ。できないものと勝手に思いこんでいるのです。
 自分の能力がこの程度と思っていたら、その少なくとも十倍の能力を持ち、能力を秘めているんです。そのことには全然気付かず表面の一割しか分からないのに、そんなことできないと思いこんでいるのが人間です。
 催眠をやればすぐ分かります。
 私もド肝をぬかれたことがあります。
 まずは入門編から。
 運動支配の段階といいます。催眠の一番軽い状態がこれです。催眠でなくてもこの能力が出てくる時があります。無意識と意識が同じ方向を向いた時に出ます。エネルギーが同じ方向に向くというのは、どういう時でしょうか。
 我を忘れた時です。
 無我夢中になった時。よく言われる火事場の馬鹿力です。
 めったにそんな状態になりません。普段はそんな能力が自分にあるとは思っていません。
 これは軽い時の場合、深い、催眠の場合はどうなるかについてお話します。

《脳の情報量―催眠》

 不思議なもので忘れた筈の情報が催眠によってどんどん出てきます。凄い情報装置です。皆さんのもっている心のメカニズム、心のカラクリ、神秘不可思議さを知って頂くために、私は、催眠の話をしようと思います。
 催眠というのは無意識層にメッセージを与えて、無意識層の働きをうながすことです。催眠状態でも意識ははっきりあります。何されるか分かったものじゃないという誤解がありますが、みんな解っています。
 意識はしっかりとあります。無意識層を動かされると、意識で逆らえば逆らうほど努力逆転の法則が動いて、ダメになります。言われた通りにならざるを得ない、それが、催眠の原理です。
 今から何年か前、奇術師の引田天功さんが、TVの民放の番組で催眠を使ってタレントを思いのままに扱いました。
 子供がそれを真似して催眠ゴッコをして問題になりました。けしからん、人の心をもてあそんでということになりました。
 こういったものではなく、日本の学術会議に登録されている、催眠に関するただ一つのアカデミックな学会があります。
 専門家の集まりである催眠療法についての学会、日本催眠医学心理学会といいます。正式な唯一の催眠に関する学会です。私もこの会の一員で催眠療法の体験をいやというほどしました。
 催眠のカリキュラムは理論と実技で二年間あり、実技も一年間とても鍛えられます。
 人間の心を扱うので、面白半分にやるようなものではなく、きわめて厳しいのです。
 催眠療法は医者の立ち会いがないとだめです。それに違反したら、即座に除名です。他者催眠は勝手にやってはなりません。
ただし自己催眠ならやってもよいということです。